ミッドウェー海戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、沖縄特攻作戦など、16回以上の主要な作戦に参加しながらも、ほとんど無傷で生き抜き、戦果をあげつつ数多くの人員(2万人近く)を救助し続けた、「奇跡の幸運艦」です。弾薬庫にロケット弾を撃ち込まれながらも不発弾で済む、機雷に接触するも信管が作動せず爆発しないなど、奇跡の名にふさわしい神がかった逸話が数多くあります。
戦後は復員輸送(1万3千人以上)任務の後に中華門国(台湾)に譲渡され「丹陽(タンヤン)」と改名し、駆逐艦でありながら艦隊旗艦となり、中華人民共和国(中国)軍の巡洋艦2隻を撃沈・大破させるなど、ここでも活躍をし続けます。老朽化により解体されるまでの艦齢29年というのは、軍艦としては異例の長寿命でした。
※「台湾」は建前上は中国の一部とされていますが、実際は全く別の国であり日本国の味方です。戦後、「雪風」が台湾国に移譲された事は幸運です。
戦艦「大和」、空母「赤城」などの大型艦に比べ目立ちにくい駆逐艦ですが、太平洋戦争時の最大の功労艦は「雪風」だったのではないでしょうか。
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全体像
竣工時の雪風です。なぜか大戦中の写真がほとんど残っていない雪風の全体がよく分かる一枚です。
少し画質が荒いのですが、こちらも竣工時のものと思われます。掲載艇の位置や、艦橋前部の機銃スポンソンの有無、船体横の「ユキカゼ」の文字などにより撮影時期がある程度判断できます。
艦橋
戦後、台湾への譲渡前の雪風、艦橋付近です。戦時中は艦橋窓周辺に防弾板が貼られ、前部に機銃スポンソンが設置されていましたが、
すでに武装や一部の設備も撤去され竣工時の状態に戻されています。
同じく台湾への譲渡前の雪風、艦橋付近です。艦橋窓付近がわずかに膨らんでいる形状がよくわかります。
艦隊旗艦「丹陽」(タンヤン)としての活躍
「丹陽(タンヤン)」として台湾で活躍中の雪風。武装は近代化改装され様々な設備も追加されていますが、船体のシルエットは雪風のままです。
雪風の最後は老朽化と台風による破損のためですが、激戦を闘いぬいた戦闘艦としては幸せな大往生だったのではないでしょうか。
日本と台湾の人々に愛され続けた雪風の、舵輪、碇、スクリュープロペラは、好意により日本に譲渡され、保存・展示されています。