太平洋戦争時に日本帝国海軍の戦略的な目玉は世界で初めて組織された空母機動艦隊(空母を中心とした艦船の集団)でした。
真珠湾攻撃からミッドウェー海戦で沈没するまで、「赤城」はその旗艦(リーダー的な船)として開戦当初から最前線で活躍を続けました。世界的には「大和」は知らなくても「赤城」は知っていたりするほど有名な艦です。
さて、その形は空母としては結構特殊です。もともと巡洋戦艦(戦艦クラスの巡洋艦)として完成させる予定だった船体に強引に艦載機格納庫をのせたので、飛行甲板がかなり高い位置になり結果的に重心が高く重厚感のあるシルエットとなりました。また艦橋が左舷(船の左側)にあることも大きな特長です。通常の空母は右舷(船の右側)についています。
「赤城」は日本の独立を維持する為に重要な役割を果たした功労艦だと思います。
詳細はウィキペディアからどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%9F%8E_(%E7%A9%BA%E6%AF%8D)
全体像
ハワイ作戦時。赤城の全体がよく分かる一枚です。
側面写真。左舷からの写真は少ないので貴重です。影になって見えない部分は推測で補うしかないのです。
インド洋作戦時。発艦する艦載機から撮影した正面写真。左右非対称な飛行甲板形状がよくわかります。
改装前の三段空母時代。停泊中の為、連絡用の内火艇が横付けされています。
艦橋
乗員の記念撮影の背後に写る艦橋。正面の窓だけ四角いようです。
インド洋作戦時。左舷高射砲群から艦橋後部を見た写真。高射砲の左右に垂れ下がったロープは被弾時に飛んでくる破片避けです。
インド洋作戦時。木製飛行甲板の波打った様子がよくわかります。
細部
右舷前方の格納庫壁面のパラベーンを格納したスポンソンから、波を切って進む様子を捉えた写真。
艦首から格納庫前部と支え柱を写した写真。乗組員が支え柱のペンキを塗り直している様子です。格納庫の断面形状が逆V字型になっているのがわかります。